城・城址
甲ケ峰山頂に築かれた山城
山家城址(甲ケ峯城跡)
山家城(甲ケ峯城) は、由良川本流と上林川の合流する綾部市の山家地区にある標高236mの甲ヶ峯山頂に築かれた山城です。戦国時代には、和久左衛門佐が居城にしたと伝わっています。
地元では「甲ヶ峯城」と呼 ば れ 、親しまれています。
現在、この山家城(甲ヶ峯城)跡には、山家城址公園近くの伊也神社から登ることができます。参道や案内板が整備されているほか、土塁や空堀が当時のまま残っています。
登り口から城跡までの山道を471mです。
明智光秀の丹波攻略の際、光秀軍は福知山を平定すると山家に進撃してきました。和久左衛門佐も降伏しましたが、山家城(甲ヶ峯城)を破却するとの条件で許されたようです。
しかし、城 域 内 に は「 照 福 寺 」というお 寺 があったことから、「城ではない、寺である」と称して城郭を取り払わなかったため、天正8年(1580年)6月20日、光秀軍により攻め落とされました。
このとき、左衛門佐はいずれともなく逃れたため、光秀は和久氏を探し出して捕らえようと、和知の豪族出野左衛門助と片山兵内にその旨を命じています。
地元では「甲ヶ峯城」と呼 ば れ 、親しまれています。
現在、この山家城(甲ヶ峯城)跡には、山家城址公園近くの伊也神社から登ることができます。参道や案内板が整備されているほか、土塁や空堀が当時のまま残っています。
登り口から城跡までの山道を471mです。
明智光秀の丹波攻略の際、光秀軍は福知山を平定すると山家に進撃してきました。和久左衛門佐も降伏しましたが、山家城(甲ヶ峯城)を破却するとの条件で許されたようです。
しかし、城 域 内 に は「 照 福 寺 」というお 寺 があったことから、「城ではない、寺である」と称して城郭を取り払わなかったため、天正8年(1580年)6月20日、光秀軍により攻め落とされました。
このとき、左衛門佐はいずれともなく逃れたため、光秀は和久氏を探し出して捕らえようと、和知の豪族出野左衛門助と片山兵内にその旨を命じています。
スポットデータ
名称 | 山家城址(甲ケ峯城跡) |
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住所 | 綾部市広瀬町 |
アクセス | 【バス】JR綾部駅よりあやバス上林線「山家バス停」下車、北へ徒歩15分 【自動車】国道27号線を綾部市内に入って進み、山手側道路沿いに立つ「山家城址公園」標識を右折し、西へ進む |
駐車場 | 有 |
アクセスマップ
山家城址の御城印は以下のページからご購入いただけます。
御登城記念として、お買い忘れの際にご利用ください。